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黒電話

  • YOKO
  • 2022年11月5日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年5月27日




黒電話の音は非常ベルのようで、

“緊急なんやからはよう出ろ” とせかす。

誰からか分からないまま重い受話器を上げる。

倉吉の祖母の家は電話がなく、母は向かいの塚本さんに電話して呼び出してもらっていた。


「おかあちゃん、元気かえ?」第一声は決まっていた。


黒電話は大人のものだった。

うちの黒電話は座布団もカバーもなしの丸裸だった。


中一の時、うちの電話を借りて友達がお母さんと話していた。

明るい彼女の声は暗かった。

切った後、そっと電話の横に10円玉を置いた。

母は変な驚き方をしていたが、

私は礼節ある行動だと感じた。


いたずら電話も多かった。

なにせ“緊急やからはよう出ろ”なのだ。

ベルが鳴ると自動的に電話機に向かっている。


卑猥ないたずら電話は最悪だったが、

避けることも出来なかった。

その上受話器が外れていようものなら、

飛び起きるような警戒音がけたたましく発せられる。


新聞社を名乗る男性から若者へアンケートに協力依頼された。

二つ三つまともな質問の後、

何色のパンツをはいていますか?と聞かれた。

あえぎ声だけの電話もあった。


高校生の時、友達の電話にキャッチホンがついていて、

便利なものがあるもんだと感心した。

混線して他人の会話が飛びこんでくる事もあった。


Mと申しますがIくんはいらっしゃいますでしょうか?

Iくんの母親はいつも面倒くさそうに、

受話器を手で押さえたくぐもった声で息子を呼んでいた。

女友達が不在でも電話に出たお母さんと楽しく世間話をしたりもした。


彼氏と夜中まで長電話はあり得ない。

黒電話の数メートル先で両親が寝ていた。


この黒い電話線はどこまで伸びるのか?

階段の三段目にある電話を引っ張ってみたが

階段の上まで届かなかったし、

長電話には受話器は重すぎた。

受話器の線がネジネジしてたか真っすぐだったか記憶に曖昧になり、

調べると昭和40年代タイプは真っすぐだった。


黒電話は愚直だった。


大学生の時、四時に国鉄大阪駅の神戸線で待合せの約束をし、

一旦帰宅すると母が臥せっていて家事をしなくてはならなくなった。

私は四時に神戸線のホームまで行き、

友達にキャンセルを伝えた。


二十代の時、梅田で友達と待合せをしていた。

私はナビオの映画館直行のエレベーターの所、

友達はビックマンと反対側の紀伊國屋書店の前でお互い待っていた。

時間に遅れない友達なので途中これは自分が間違ってると思い、

紀伊國屋に向かった。

彼女は大きな丸柱から顔だけ出してこっちを見ていた。

今昔物語である。


大学生まで黒電話だった。

黒電話は一家の重大な役目を担い不動の位置に鎮座していた。


スマホを電話機と言って友達に笑われた。

娘が彼とライン電話を繋げたまま就寝しているのを知った時は

腰がぬけそうになった。


こないだ実家から帰りぎわ玄関先で母に、

「あそこに電話しときやー」と言いながら、

左手こぶしを耳に、右手人差し指を二回まわしながら

アーア、、、と思った。


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