1980年代初頭。
大学生の時、新御堂筋を北に車で走っていた。
緑地公園駅と桃山台駅の間くらい。
やっと止んだ雨上がりの、
西の雲のすき間から夕陽がでた時。
カーステレオのテープから山下達郎の“SPARKLE”が流れた。
つま先からエネルギーの塊が身体をつたい、
“脳天”を突き抜けていった。
それは、生きていることの喜びと感動だった。
2022年コロナ禍で3年ぶりのコンサートに行った。
堂島地下センターを歩いていると少しずつ実感がわきはじめる。
フェスティバルホールに着き赤絨毯の大階段を見上げると、
胸がクウウンとなる。
バイト先の喫茶店は大きなスピーカーがあり、
音響が良かった。
そこで初めて山下達郎の音楽を耳にした。
「なにこれ?だれこれ?日本人?」
ハテナが頭を回った。
ビートの効いたブラック&ソウルが好きで、
大きなイヤホンジャックを木製のステレオに差し込み、
洋楽LPに毎日針を落としていた私にとって
山下達郎のサウンドは、
強烈すぎるほど強烈だった。
レコードを買いに走った。
2枚しかなかった。
ヘッドホンを両手で耳に押し当て、
何回も何回も何回も達郎サウンドに酔いしれた。
昭和54年、高校1年生の冬だった。
“RIDE ON TIME”が翌年大ヒットし、
山下達郎は全国に知れ渡った。
あれから44年。
いまだに私は山下達郎に酔いしれていて、
彼の音楽は私の人生と共にある。
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