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YOKO

山下達郎

更新日:2023年11月11日




1980年代初頭。

大学生の時、新御堂筋を北に車で走っていた。

緑地公園駅と桃山台駅の間くらい。


やっと止んだ雨上がりの、

西の雲のすき間から夕陽がでた時。


カーステレオのテープから山下達郎の“SPARKLE”が流れた。


つま先からエネルギーの塊が身体をつたい、

“脳天”を突き抜けていった。


それは、生きていることの喜びと感動だった。


2022年コロナ禍で3年ぶりのコンサートに行った。

堂島地下センターを歩いていると少しずつ実感がわきはじめる。


フェスティバルホールに着き赤絨毯の大階段を見上げると、

胸がクウウンとなる。


バイト先の喫茶店は大きなスピーカーがあり、

音響が良かった。

そこで初めて山下達郎の音楽を耳にした。


「なにこれ?だれこれ?日本人?」

ハテナが頭を回った。


ビートの効いたブラック&ソウルが好きで、

大きなイヤホンジャックを木製のステレオに差し込み、

洋楽LPに毎日針を落としていた私にとって

山下達郎のサウンドは、

強烈すぎるほど強烈だった。


レコードを買いに走った。

2枚しかなかった。

ヘッドホンを両手で耳に押し当て、

何回も何回も何回も達郎サウンドに酔いしれた。



昭和54年、高校1年生の冬だった。


“RIDE ON TIME”が翌年大ヒットし、

山下達郎は全国に知れ渡った。


あれから44年。

いまだに私は山下達郎に酔いしれていて、

彼の音楽は私の人生と共にある。


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