大阪家庭裁判所から待ち望んでいた封書が届いた。
氏の変更許可申立事件審判の確定「許可書」
6月、蒸し暑い日。
市役所へと勇んで電チャリをこいだ。
役所角の信号待ちで庁舎を見上げた。
国旗と市旗が並んできれいに左にたなびいていた。
23年ぶりに生まれた名字に戻れる。
ああ、、、、めでたい、、、、
所が肝心の「審判の判決確定」書類を忘れ、
窓口で頭を抱えたのち、帰宅した。
それは自宅テーブルの上にあったが、
「許可書」が届くまで日数が長かったので
空白にメモ書きしその上、
カピカピのご飯粒が2つ。
大阪家庭裁判所の書記官に電話した。
提出先の窓口がメモ書きOKならOKであると確認し、
先週より蒸し暑い中、再び市役所へ。
日の丸と市旗が同じく誇らしげにはためいていた。
戸籍課の椅子で父に思いを馳せた。
それは昭和39年3月末日。59年前。
31歳の父は娘の生まれた喜びを胸に抱え、
ここで私の出生届を出したのだ。
モノクロ映像が浮かぶ。
窓口にはカッターシャツにネクタイの職員。
腕に黒い汚れ防止をはめている。
カッターシャツに地味色のセーター。
きっちりベルトでとめたスラックス。
黒い皮靴を履いたスラっと男前の父。
駅から役所まで続く商店街を真っすぐ歩いてくる。
私が生まれた喜びと共に。
家族が増えた幸せと共に。
愛する母との乳はむ吾子。
目頭が熱くなった。
庁舎地下の自販機で、
三ツ矢サイダーが目に飛び込んできた。
透明で、キラキラで、冷たくて甘い、、、
“三ツ矢サイダー”
少し迷い、迷わずボタンを押した。
今日は「三ツ矢サイダーの日」だと思った。
「胃が悪い時はサイダー飲んだらスーーっとしてようなるんやで」
父方の祖母の大昔の言葉を思い出した。
先日、それはその通りであると記事で読んだ。
祖母はバスタオルを“ゆあげ”
マーガリンを“あのお船に入ったやつ”
お尻と“おいど”
と言っていた。
何十年も飲まないサイダーに驚いたのか、
喉はすこし止まり、了解し、落ちていった。
とてもおいしかった。
帰宅し、ペットボトルを洗い、今日の日付を書き
父の写真の横に立てた。
「お父さん。名字戻ったで。
そっちに表札だしといてや。ようこ、行くからな、、、」
むねが苦しくなった。
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