2回目の離婚後、
夫の苗字を15年名乗りつづけた。
娘の成人を機に旧姓に戻すため大阪家庭裁判所に行った。
歳を重ねる程、
親の苗字に戻りたい気持ちが募っていく。
それが本当の自分であるような気がする。
誕生からの戸籍謄本を取り寄せた。
鳥取県、小田原市、池田市、現在。
封書で届いた謄本を持ったまま2度固まった。
父の母親が父の姓でない。
昭和7年、鳥取の片田舎で未婚の母で産んだのだ。
祖父は農業を嫌い大阪へ。産みの母は父を育てず、
父は祖父の母に育てられた事は知っていた。
親の愛を受けず育った父はこの上なく子煩悩で、
真面目で、家族を大切にした。
「子供を鍵っ子にさせてくれるな」母に言った。
小学校から帰ると病弱な母は身体を起こし、
暗い奥の部屋から「おかえり」
笑顔で言っていたのを覚えている。
もう1つは1回目の“東京の男”と結婚時の謄本。
目の前で離婚届を3回破られ、
酔って帰宅し別れないでくれと土下座し、
何か月も判を押さなかった夫は離婚の翌年、
ひと回り以上年下の東京の女性と再婚していた。
女性の誕生日、出生地、住所、両親の名。
父親が出生届を提出した日、、、
彼女の名は私の脳に焼き印された。
家裁のある谷町4丁目駅から地上への階段が長かった。
家裁近くの大木が強風にあおられ空から葉っぱを落とし、
大量の紅葉色を車のタイヤが巻き上げていた。
それは秋の風景だったが、
家裁玄関横の桜は咲き誇っていた。
家事課の窓口担当はジャニーズばりの可愛い男子だった。
私の60年に及ぶ“人生の紙”を順番に並べ、
丁寧に確認している。
“ハランバンジョウの60年”をジャニーズが目の前で、
ペラペラめくっている。
桜と紅葉を見ながら切手と印紙を買いにコンビニを往復した。
子を分籍しないと娘も私の旧姓になるとジャニーズが教えた。
こんな可愛い顔してエリートかぁ、未来は明るいなぁ、、、
帰りの地下鉄谷町線にドテっと座った。
「さいごに笑うものの勝ち」
「やるかやらんか迷ったらやる」
吊り輪に書いてあるのを交互に見ていた。
何も心に刺さらなかった。
すごい疲れた。
不思議な日だった。
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